Bill Laswell & AXIOM Label (part.1)
BILL LASWELL
。
NY在住の
鬼才ベーシスト/プロデューサー/音楽クリエーター として一部に熱狂的なファンも持つ人物です。
このLASWELL氏が主宰するレーベル、
AXIOM もまた多様かつ一筋縄でいかない音楽をラインナップし、注目を集めていました。
90年代半ば頃には、そのラインナップの一部を国内レコード会社が国内盤としてリリースしており、そのプロモーションのために、Bill LaswellとAXIOMレーベルを紹介する
フリーペーパーが作られ、CDショップ店頭で配布されたりもしていました(左画像はその表紙)。
このフリーペーパーの内容は、多岐にわたるBill Laswellの活動や経歴を一望できる秀逸なものだったので、そのコンテンツをこの場に再現してみることにしましょう。
The Story of AXIOM & Bill Laswell
トレンドや売れ筋ばかりを気にする音楽業界では、いったん売れると分かったジャンルは骨の髄までシャブられて、そのうち時代遅れの烙印を押され、お払い箱にされる。本当に創造的なアーティストや作品などは、商業活動の妨げ以外の何ものでもないのだ。
そんな業界の退廃と絶えず
戦ってきた男が、ビル・ラズウェルである。彼が関わった全ての作品は、熱心なファンや辛辣な批評家たちを、あるときは
驚喜させ、またあるときは
激怒させてきた。
彼は音楽のためならどんな非常識だってやる。
1983年、ジャマイカのミュージシャン、
イエローマンのもとに
ドラム・マシーンを持ち込んだのも彼なら、パンク・ロックの権化である元
セックス・ピストルズのジョン・ライドンを、ヒップホップの創始者の一人、
アフリカ・バンバータと組ませてアルバムを制作したのも彼。
非西欧世界のアーティストがラズウェル色に染まるのを危惧したイギリスの批評家グレアム・ロックは「お願いだから
ユッスー・ンドゥールのそばに近づかないでくれ」と彼に手紙を書いたという逸話もある。
そのラディカルな創造意欲のゆえに、ビル・ラズウェルは一部の批評家から、病的と言ってもいいくらいに嫌われているのだ。
しかし、もし'80年代初頭に、彼が飽くなき音楽的探求を行わなかったとしたら、今日、テクノやアンビエント、ワールド・ミュージックなどというものがこれほどまでに普及していただろうか。
彼は、現存するジャンル、国境、文化のカベを突き破ろうとする独創的で大胆な発想を、創作のベースに置いている。そして彼が'89年に創設した新レーベル、AXIOMから発信されるサウンドは、'90年代後半、ひいては21世紀の音楽シーンの行方をも変えてしまう
危険な導火線なのである。
THE ROOTS
ビル・ラズウェルは1955年2月12日、アメリカは
イリノイ州のシカゴに生まれた。
10代後半にギターを弾き始めた彼だが、すぐにエレキ・ベースに転向。ハイスクールのR&Bバンドで鳴らした彼は、10代も半ばにもなると、当時シーンを賑わしていたソウルやファンクをカバーするバンドの一員として、中西部、南部の劇場やナイトクラブを回る。
彼の故郷はソウルやR&Bにとって非常に豊かな土壌であった。
ファンカデリックや
オハイオ・プレイヤーズ、ブーツィー&キャットフィッシュ・コリンズ兄弟……。当然のように、ラズウェルもそれらの大きな影響を受けて成長したのだ。特にアンサンブルやグルーブの作り方、あるいはブルースやカントリーといったアメリカ的な要素をどうフュージョンさせていくかといったことを学んだという。
その一方で、
オーネット・コールマン、
ジョン・コルトレーン、
アルバート・アイラー、
ファラオ・サンダースといったジャズ界の前衛ミュージシャンの音楽にも感化され、芸術的な表現とは一体何か?といったことをも考えるようになっていた。
やがて、彼は'60年代末期からのロックシーンの台頭にも出くわす。彼の地では、
イギー・ポップ&ザ・ストゥージスが火つけ役だったが、ラズウェルは、その後に出てきた
MC5に強い関心を持っていた。彼自身もライブの現場に身を置いていたため、ラズウェルは毎晩2〜3組のこうした新興バンドを目の当たりにすることが出来たのだ。
後にラズウェルが、アフリカ・バンバータ、ファンカデリックのマイケル・ハンプトンらとカバーしたMC5の "Kick Out The Jam" を聴けば、いかに彼がそうしたソウルやロックを、自分のなかで同等に消化していたかが窺えるだろう。
'70年代後半になって、彼は
ニューヨークに出てくる。当時、そこではアドリブを中心とした
前衛的なジャズやロックを演奏するプレイヤーが山ほどいた。ラズウェルは彼らと交流しながら、この世界にのめり込んでいく。できるだけ多くのレコーディング・セッションや、ライブ・ギグに出かけ、経験を積み、アイデアを試し、金をかせいだ。そうしたギグの一つに
デヴィッド・アレンや、プログレッシブ・ロックの
ゴングとの共演もあった。
また
ヘンリー・スレッギルや
ビリー・バン、ボーダーレスな活躍で日本とも縁の深い作曲家兼サックス奏者、
ジョン・ゾーンらと知り合ったのも、
ジョン・ケージや
シュトックハウゼンといった
現代音楽家の仕事に興味を抱き始めたのも、この頃のことである。
マテリアル
ROCKIT
1983年、
ハービー・ハンコックの大ヒット・アルバム
"Future Shock" をプロデュースしたことが、その後のラズウェルのキャリアに一大変革をもたらす。
このアルバムには、これまで彼がやってきた実験が全て投入された。
テクノ・ビートとスクラッチ・ノイズが大胆にフィーチャーされたシングル "Rockit" は、MTVや各国のヒットチャートを席捲、まだまだ普通の音楽ファンにはなじみのなかった
<ヒップ・ホップ>という言葉を大衆のレヴェルにまで知らしめた。また、タイトル曲の "Future Shock" は、
カーティス・メイフィールドのカバーだが、シンセサイザーとサンプリングによってでも、肉感的なファンクネスを保つことができることを証明した。
WORLDへのアプローチ
ブルースやカントリーといったアメリカ固有の音楽に、若い頃から親しんでいたラズウェルは、世界中のさまざまな文化のもとで生まれた音楽、すなわち現在ワールド・ミュージックと呼ばれているような音楽を受け入れることに何の抵抗もなかった。
他の浅はかなアーティストが、自分の音楽にエキゾチックな雰囲気を与えるためだけに、非西欧世界からゲスト・アーティストを呼び寄せたりしていた頃、彼は既に世界中の巨匠たちとネットワークを持ち、彼らとの共同作業の中から、多くを吸収していた。
そうした成果のいくつかが、AXIOMからリリースされている。例えば、かつてオーネット・コールマンや
ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズとの共演でも話題になったジャジューカの "
Apocalypse Across the Sky" 、ガンビアの伝統音楽を演奏するマンディンカ・グループやフラニ・グループの "
Ancient Heart" 、マラケシュのグナワ・ミュージックを収めた "
Night Spirit Masters" ……。
それらは、彼らが昔からそうしてきたように
野外で演奏してもらい、プレイヤー全員にマイクをセットして
デジタル・マルチ・レコーダーで録音したものを、最先端のスタジオでミックス・ダウン。その場の広がりと奥行きは保ちながらも、各々の音のセパレーションは完璧に仕上げた。その昔、2トラックのテレコで行われていたような野外録音からは隔世の感がある。
また、異なるいくつかのジャンルの音楽を結びつけるといったことも、ラズウェルのお家芸と言えるだろう。彼はこうしたレコーディング作業において、どこの国のミュージシャンに対しても庇護者的な態度を取ることはなく、誰とでも対等な関係を維持してきた。こちらの例としては、マテリアルの最新作
"Hallucination Engine" を聴けば納得していただけるだろう。ラズウェルはモロッコのトランス・ミュージックの伝統的スタイルに、最新のテクノロジーと多彩なミュージシャンを掛け合わせることで、電化され、組織化された現代版トランスミュージックを作りだしている。
同じく、 "Future Shock" に続く'84年のハンコックのアルバム "
Sound-System" でも、ラズウェルは、インダストリアル・ロックやテクノ的な音世界に、ピュアなアフロ・サウンドを溶け込ませようと、セネガルからトーキング・ドラムの名手
アイーブ・ディエン、キューバからコンガの
ダニエル・ポンセ、そしてガンビアの伝統を今に伝えるコラのプレイヤー、
フォディ・ムサ・スソらを招いた。さらにハンコックと付き合いの長いサックス奏者
ウェイン・ショーターまでも加え、一見異質に見える要素を見事なまでに有機的に結合。
グラミー賞を受賞する傑作を生み出した。
PRODUCER ラズウェル
裏ラズウェル
その一方で、ラズウェルの
非メインストリーム音楽への挑戦も頂点を迎えようとしていた。
アグレッシヴで野心的、あけすけにラディカルな音楽を作るため、ソニー・シャーロック、
ペーター・ブロッツマン、
ロナルド・シャノン・ジャクソンといったフリージャズのミュージシャンらと、
ラスト・イグジットを結成。バンドとしてのライヴ活動、レコード・リリースも活発だが、並行して、ラズウェルは各メンバーとのコラボレーションや、それぞれのソロ作のプロデュースもさかんに行っている。
そしてさらに音楽における“攻撃性”を重視した試みとして、ラズウェルはジョン・ゾーンと
ナパーム・デスのドラマー、
ミック・ハリスとのトリオ、
ペインキラーも結成。吐き気を催しそうな
過激な演奏で、ハードコアなファンを狂喜させている。
P. FUNK
詩人達
ラズウェルはまた、詩人たちに対しても強い憧れを持っている。
まず、'50年代のアメリカの
ビートニクス。当時の彼らが、麻薬を求めてモロッコへ旅立ったことも、モロッコ音楽に強い関心を寄せるラズウェルには通ずるものがあるのだろう。
ベルナルド・ベルトルッチ監督によって映画化もされた「
シェルタリング・スカイ」の原作者
ポール・ボウルズは、AXIOMのアルバム "Night Spirit Masters" へライナーノーツを寄せているし、ジャジューカのアルバムを "Apocalypse Across The Sky" と命名したのは、映画界や音楽界との交流が盛んになってきたビートニク中のビートニク、
ウィリアム・バロウズである。
それどころか、バロウズはマテリアルの'89年作 "
Seven Souls" 、'94年の "Hallucination Engine" の
レコーディングにも参加している。バロウズがローリー・アンダーソンのアルバムに招かれた'85年頃、彼は単に詩を朗読していただけだったが、'94年のバロウズは本職ラッパー顔負けのライムをビートに乗せていて、実にクール。
また、'60年代のマルコムXや、ブラックパンサーの政治活動に刺激を受けて形成されたハーレムの黒人詩人グループ、
ラスト・ポエッツのメンバーともラズウェルは交流を保っており、 "
Oh My People" といったアルバムや、ジャラルディン・ヌリディンとD. STのコラボレーションによる12インチをプロデュースしてきた。
ここ数年、ラスト・ポエッツの初期メンバー、
ウマー・ビン・ハッサンにご執心のラズウェルは、日本のPヴァインからラスト・ポエッツ名義で "
Holy Terror" を、AXIOMからウマーのリーダー作として "
Be Bop or Be Dead" と2枚のアルバムを次々とリリース。後者ではブーツィーやバーニー、
バディ・マイルスをフィーチャーして、ラスト・ポエッツの名曲 "Niggers Are Scared Of Revolution" "This Is Madness" 等をリメイクしている。
日本
AXIOM
'80年代、ビル・ラズウェルはセルロイド・レーベルをベースに数々の音楽実験を繰り返し、その後、OAO、エネミー、テラピン、ヴァージン傘下のヴェンチャー、ネイション、また、セルロイドの後継レーベルとしてのサブハーモニック等々、信じられないほど数多くのレーベルを任されたり、運営したりしてきた。
'89年、アイランド・レコードの創立者クリス・ブラックウェルの熱烈な支持のもとに、自分と協力者たちのヴィジョン、つまり作品を発表する場として
AXIOMが設立された。
AXIOMは何者にも縛られない、
最もピュアな形での音楽性追求を旗印に、アーティストには完全な自由を保証し、クオリティの高い音楽のみを扱う。
AXIOMに登場するアーティストは、これまでに紹介してきたビル・ラズウェルの全ての方向性から選ばれた才能あふれる人たちである。そして、非西欧世界のミュージシャンたちのピュアなサウンドもリリースすれば、従来では考えられないような異ジャンルのアーティストたちとのコラボレーションも送りだす。はるかな距離と境界を股にかけ、いやそれらを無視して、
途方もない音楽的エネルギーを各々のCDに凝縮する、それがAXIOMなのである。
さて1994年のAXIOMだが、P. FUNKの項で述べた "FUNK PROJECT" の他に、
中国歌手リュウ・ソラの
デビューアルバムが計画されている。これにはジャズ、ファンク、R&B系の一流ミュージシャンが参加する他、アジアの伝統楽器を取り入れ、古典音楽と世俗音楽の両面において
東西文化のラディカルな融合を作りだそうという目論見だ。また、ラズウェルとオーネット・コールマン、そしてウィリアム・バロウズという究極のビートニク・トリオによる作品も待機している。
残念ながら、この小冊子をもってしても、ビル・ラズウェルがこれまでにやってきた仕事のほんの一部しか紹介できていない。彼は既に
200点以上の作品を世に送りだしてきたのだ。そして、この先、AXIOMからどんな作品をどれだけ発信することになるのか、おそらく彼自身にも答えられないことだろう。ウィリアム・バロウズは、自身が考え出した境界のない世界をINTERZONEと名付けた。そして、ラズウェルはその
INTERZONEの音楽的実現を、このAXIOMで果たそうとしているのだ。
NOTHING IS TRUE, EVERYTHING IS PERMITTED.
以下は、AXIOMの作品ラインナップを紹介していきます(各紹介文もフリーペーパーに掲載されていたもの)。
モロッコのマラケシュで
デジタル録音されたトランス・ミュージック。太鼓ダルブッカの音が、驚異の迫力で響きわたる。
伝統楽器コラやバラフォンを使う
マンディンカと、ヴァイオリンのような楽器ニャネール主体の
フラニ、両グループのアンサンブル。
元クリームの伝説的ドラマーが長年研究、咀嚼してきた西アフリカのリズムを、現地ミュージシャンと共に爆発させる。
P. ガブリエルとの共演でも有名なインドのヴァイオリン奏者
シャンカールが古典を現代に甦らせる。妻キャロラインの歌も。
ガンビアのグリオ、フォディ・ムサ・スソの率いるマンディンゴ。
西アフリカの伝統音楽を、現代的テクノにフュージョン。
かつてオーネット・コールマンのもとで鳴らしたドラマー、シャノン・ジャクソンが、3ギター、2ベースと繰り出す
メタル・ジャズ。
上記AXIOMアーティストの
コンピレーション。初期AXIOMを手っとり早く知るには便利な1枚。
ブラジルの中でも最もアフリカ的な地域、
バイーア。
ポール・サイモンとの共演でも知られるバイーア最大のパーカッション軍団
オロドゥンの天国ビートに乗って、バイーア最新のアグレッシヴなグループ
"TIMBALADA" のカリーニョス・ブラウン、そしてショーター、ハンコックといったジャズ・グレイツたちがせめぎ合う。
お上品なボサノヴァなんか目じゃないぜ!
熱い血がブラジルだ!
かつてローリング・ストーンズの
ブライアン・ジョーンズとも共演した、モロッコのジャジューカを最新、最高の録音で。
トルコの弦楽器サズと、豊かなヴォーカルを操る
タリップ・オズカンが、
トルコの伝統音楽の様々なスタイルを披露。
日本の特撮ヒーロー物「ジャイアント・ロボ」をこよなく愛する謎のギタリスト
“バケツ頭”、
P. FUNKの重鎮2名、
リンボーマニアックスのドラム、
ジャングル・ブラザーズのDJという未来派野郎たちが生み出すのは、前衛ファンクともファンク・メタルとも呼ばれる過激な音。
ブーツィーのクールなヴォーカルの背後でうねりまくるバケットヘッドの変態ギタープレイは超絶、いや悶絶?
スレッギルは、ラズウェル同様シカゴ生まれのマルチ・リード奏者。
'93年、ニューヨークの「ぴあ」、"Village Voice"誌の
ジャズ・チャートで2位に輝いたこの作品では、弦ベースの代わりにチューバを配して、ネッチリとしたグルーヴを構築。
モンク、コールマンばりの屈折フレーズを、ストリングスや怪しげな女性ヴォーカルを交えて劇奏!
本人のアルトも、文字どおり
バリバリ鳴っている!
'92〜'93年の作品からピックアップ。しかし収録曲の半分以上が
アルバムとはミックスが違うので、AXIOMクレイジーは要注意。
ギタリスト、スコペリティスが、
ミーターズの
ジョセフ "ジガブー" モデリストや、
カンの
ヤーキ・リーベツァイトをドラムに迎えて、メタリックなグルーヴを放射するかと思えば、非西欧世界のミュージシャン達とのリラックスしたセッションも。
ラスト・ポエッツの初期メンバー、ウマーが長年の沈黙を破って、
吠える!
ジャネット・ジャクソン主演、ジョン・シングルトン監督の映画「
ポエティック・ジャスティス」でもフィーチャーされているラスト・ポエッツの名曲 "Niggers Are Scared Of Revolution" のリメイクは、
ジミヘンのドラマー、バディ・マイルスのぶっといグルーブも手伝って、
怒髪天をつく仕上がり。革命を恐れるな!
15年に及ぶラズウェル
入魂のプロジェクト、
マテリアルの最新作は、アンビエント/ジャズ/ファンク/ダブを徹底的に融合させ、さらに中東、西アフリカ、インド、中国と、世界のあらゆる地域のエッセンスも凝縮した
究極のコンフュージョン・アルバム。
中でもウィリアム・バロウズをアシッド・ジャズさせてしまった収録曲 "Words Of Advice" は全ビートニクへの遺言だ!
(このアルバムよりのシングルカット「
Mantra : with Bill Laswell & Orb Remixes
」もリリース)
マテリアルの "Hallucination Engine" にも参加していた歌手
リュウ・ソラのデビュー・アルバム。
ソラのいかにも中国的な発声に、自身のアルバム以上に力のこもったウマーのライムが絡む。彩るのは中国の琵琶ピーパや、日本の尺八、加えて背後を支配するアンビエントなグルーヴ……
まるで
映画「ブレードランナー」をイメージさせる音楽コラージュ。タイトルどおりブルージーなテイストも十分。
ラズウェルは子供のときからファンクにまみれてきた男である。
このアルバムは、そんな彼の
ファンク人生の総決算。
P. FUNK、オハイオ・プレイヤーズの中心人物たちが一堂に会して贈る、
'94年型大ファンク絵巻。
中でも、故
エディ・ヘイゼルの参加した2曲は、全ファンカティアが
落涙することは必至。
フリーペーパーに掲載されていたアルバムは以上なのですが、AXIOMのラインナップはこれで全てではありません。
94年以降も、AXIOMはディープかつジャンル横断的な多様な作品を生み出していきますが、それは次回へ続く、ということで……